自分が良いと思わないものが、他人にとって良いということは実によくある。
楽曲を自作してステージに上がると、渾身の一曲がどうにも手応えなく、パパッと簡単に作った曲に拍手と注目が集まったりするのだ。
当初はこの現象を嘆いたりもしていたが、人の好き嫌いは突き詰めると実に深遠なる嗜好の闇に飲まれてゆくものだ。
そういうものなのだと悟ってからは、人の好き嫌いを見定めることも楽しくなった。
「好きなことを仕事にする」というフレーズが一時ブームになった。
多くの人が現在の職を捨て、新しい人生へ踏み込んだと聞いている。
その結果、底なしの地獄まで真っ逆さまに落ちた人も多いと聞いている。
別に驚くことではない。
僕自身がつい数年前まで「田舎から都会に出てきた自称ミュージシャン」をやっていたのだ。
地獄の底も底、コケを食って生きているような日々であった。
「好きなことを仕事にする」という言葉の危険性は嫌というほど知っているのだ。
どうして「好きなこと」は「仕事」にならないのか。
誰がこんな無責任なことを言い出したのだ。
責任者を出せ。
そう騒いでみても、現実が変わるわけでなし。
万が一責任者なんてのが居たとしても、その人の言うことを聞いて行動したのは自分自身である。
万が一分の万が一お金など貰えたとしても、自分の行動のケツを人に拭かせる人生は果たして豊かで幸せだと言えるだろうか。
今度はその責任者が死んでしまったらどうしよう、などという不安が現れるに違いない。
責任者に取ってもらえる責任など、この世のどこを探しても出てはくるまい。
「好きなこと」が「仕事」にならない明確な理由がある。
「好きなこと」は、「自分が好きなこと」なのだ。
アンタの「好きなこと」は、「アンタが好きなこと」。
僕の好きなことは、「僕の好きなこと」なんである。
そして「仕事」とは「奉仕する事」である。
大阪駅前第一ビルの地下にあるスズメバチカレーだって、あのカレーが食べたいという人がいるから、お店として存続しているのだ。
少し前に一見の客が「このカレーにはスズメバチが入っているから独特の風味と辛さがあるのですね」と言っていたが、そんなアブナイ虫は触覚一本だって入っちゃいねえのよ。
辛口のカレーでむせると非常にしんどいので、そういうテロ行為はやめていただきたい。
話が逸れてしまった。
偉そうなことを言いたい訳ではない。
結論から言いますと、「仕事になる好きなこと」と、「仕事にならない好きなこと」があるということなのです。
例えば
「延々畳の目の数を数え続けることに尋常ならざる幸福感を感ずる」
という方が居たとして、その方に「好きなことを仕事にしましょう!」なんてお声掛けした日には、それはあなた人ひとりの人生がい草の隙間に堕ちて絡んで取り戻せなくなってしまいます。
それならば日本料理のお店などで給料を発生させつつ自宅の畳の目の数を数えあさり、隙あらば二階の大宴会場の畳の目の数を数えんと虎視眈々としている方が、よほど社会の中では楽しく生きていられるのではないだろうか。
「好きなこと」と「仕事」を繋げるには、それ相応の工夫やコツがいる。
自分の快楽に焦点を合わせているうちは、お客の顔は絶対に見えてこない。
自分の快楽に焦点を合わせて生きていたいのなら、是非「好きなこと」と「仕事」は繋げない方がいい、というか繋がらない。
自分が「好きなこと」を「仕事」にしたいと思っている人は、是非その辺を考えてみてほしい。
自分の「好きなこと」で喜んでくれる人はいるだろうか。
自分の「好きなこと」でどうやったら人を楽しませたり、役に立ったりすることができるだろうか。
なんかまあそういうコトを、最近も飽きずに考えたりしているんである。