こんな人生を生きてきたよなぁ、ということを自分のためにまとめてみようと思い、ライフブログを書き始めることにした。
エンタメ的文章を目指すでもなく、技術や知識をシェアするでもなく、ただ僕が僕のために僕を振り返るだけの連載である。
毎日お昼11時ごろの更新を目指すので、お時間があれば、ゆるゆるとお付き合いいただけると嬉しい。
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P.2:チョロQで歯医者②(2018/07/21)
古い記憶の中では、僕はいつも大泣きをしていることに気付いて、ちょっと驚いた。
詳しくは今後の連載で掘り起こしていくとして、最も鮮烈に覚えているのが、歯医者での事件だ。
僕は小さい頃から好奇心旺盛でかつ聡明であったから、身の回りにある素敵なものは全て口に含んでみないとたまらない性分だった。
口腔内が人体で最も鋭敏なセンサーの集中点であることを理解していたのだ。
理解したいものを口に含みたくなる衝動は、愛情の発露の一端として、大人になった今もどこかに残っているように思う。
そんなテイスティングのオーソリティであった僕が、白いボディに赤いラインの入ったチョロQを手に取ったことが、事件の発端であった。
度重なるテイスティングにより、既に僕はそのチョロQの全てを知り尽くしている気になっていた。
タイヤのゴムの苦味も、バンパー部分のエッジぶりも、口にフィットするサイズ感も、あらゆる要素を大変気に入っていたものだ。
何度も母から「口に入れるな」と叱られたが、溢るるパッション如何ともし難く、その日も僕はチョロQを丹念にテイスティングしていた。
不意に、このタイヤは抜けちゃったりしちゃわないだろうか、なんてことが気になった。
気になった瞬間、僕は前歯を引っ掛けてチョロQの前タイヤを引っこ抜いていた。
おお、ぬけるではないか。
おお、このようなしくみだったのか。
おお、思ったとおりのことがおこるのは、たのしいぞぅ。
そんなことを思ったのだと思う。
気を良くした僕は、ならばならばと後ろタイヤにも前歯を引っ掛けたのだけれど、こちらは中々抜けない。
前タイヤの時のような「カタカタ」した感じもなく、後ろタイヤはがっちりとチョロQにくっついて微動だにしないのだ。
これらの状況を鑑みて、知性的な僕は筋力による解決を試みた。
前歯をしっかりとタイヤに引っかけ、上顎を固定し、顔から引き離すように両手でチョロQを引っ張った。
ばきん
という音がしたような気がする。
もしかしたら衝撃だけだったかもしれない。
チョロQのタイヤは抜けなかった。
代わりに、僕の前歯が2本、根元あたりで折れて飛んでいった。
びっくりして泣いたのだったか、それを聞いて母が慌てたのだったか、その辺りはもう思い出せない。
痛みがあったのかどうかも分からない。
それからしばらく、僕は昭和生まれの美少年らしく、前歯のない生活を送ることになる。
前歯のない生活は、それほど不便ではなかった。
口を閉じた状態でストローでジュースが飲めるとか、残った歯の角によるテイスティングの新たなアプローチを開拓したとか、それはそれなりに楽しいものでもあったのだ。
ところが、ある日突然問題が起こった。
僕の上唇の裏側から血が出ていることに母が気付いたのだ。
めくり上げてみると、歯茎の側面から折れて残った乳歯の根が出てきていて、唇の裏側に傷を付けていたのだった。
「歯医者に行こう」
僕はいよいよ、後に起こる凄惨な事件の現場に赴くことになった。
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