弾き語りでロックな演奏するにはどうすればいいかを考える連載、今回が最後です。
なんだか結局とっちらかってしまったような気もしますが、あなたの琴線に触れる言葉が一行でも、一言でもあったなら、僕はとてもうれしいです。
連載一覧
①「ロックっぽい」アプローチは、メリハリのあるビートを前面に押し出すアプローチに宿る
②音楽とは、高い音と低い音を整理整頓したものである
③ロック的サウンドをアコギで出すための3つのテクニック
音楽をシンプルに理解する
今回の記事は、連載の総集編です。
少し過去の記事を振り返りつつ、新しい解釈を取り込んでみましょう。
時系列がやや前後しますが、そこはお気になさらず。
まず思い出されるのは、僕たちは音楽がどういうものなのかをシンプルに理解することがとても大切だと語り合ったことです。
覚えていらっしゃいますか?
そう、あの言葉です。
音楽とは、高い音と低い音を整理整頓したものである。
実にシンプルで、美しいフォーミュラ(公式)だと思いませんか?
体ひとつあれば、足音やハンドクラップや太ももを叩く音でも、僕たちは音楽を奏でることができます。
歴史に名を残す音楽家達が奏でる壮大で難解な楽曲も、母が聴かせてくれた子守唄も、あなたがこれまで奏でてきた音たちも、その全てが、間違いなく音楽だったのです。
この事実だけで、僕はとても心救われます。
かつて僕は、技術や演奏の正確性が高いこと、その獲得に臨む道のりが厳しく困難であること、それこそが、それだけが、素晴らしい音楽の条件である…という価値観を握りしめていました。
しかし、大人になって、あらためて気付いたのです。
僕の愛した音楽は、そんな狭量ではなかったことに。
もちろん、意思を持ち、努力と時間を投資してあなたが得てきた技術を、僕は心からリスペクトします。
しかし、それはあなたの音楽の、ほんの一部でしかありません。
音楽とは、あなたがそこにいて、音を受け入れている、たったそれだけのことを指すのですから。
硬く握りしめた拳をほどいて、手のひらを上に。
僕たちのフォーミュラをそっと載せましょう。
あなたの愛するロックを理解する
あなたと僕が「ロックな感じ」というフレーズを見つめるとき、あなたが思い描くイメージと、僕が思い描くイメージは絶対に異なります。
そして、あなたが「ロックな演奏がしたい」と願うとき、その「ロック」は、あなたの中にあるのです。
僕はよくレッスンで生徒さんと演奏のアプローチをいくつか試してみながら、「どれが好みですか?」と聞きます。
僕たちは、まるでこの世の全てには正解があるのだと勘違いしています。
いえ、確かにあるのでしょう。
ただし、それは「あなたにとっての正解」なのです。
あなたが「ロックな演奏をしたい」と願うなら、あなたはあなたの想うロックなサウンドを、能力の限り追求しなければなりません。
誰もあなたの「ロック」を知らないのです。
共に探すことはできても、発見することができるのは、あなた自身なのです。
これかもしれない、という何かを見つけたら、感動と好奇心に導かれるままに飛び込んでみてください。
飛び込むたびに、その何かは輪郭を得ていくことでしょう。
そしてそれは、あなたの「ロック」を音として形作るための、たったひとつの方法なのですから。
あなたの愛するギターを理解する
ギターについても、僕たちは沢山の言葉を交わしました。
彼らには6本の弦があり、僕たちがそのことを忘れていたことを思い出しました。
「鳴らさない」という演奏の大切さも確認しましたね。
そうそう、こんなにフランクに手に取れる楽器が、実は最高にデリケートなタッチを求めているのだ、ということにも気付きました。
どれだけイメージが明確でも、それを形作る楽器への理解が疎かでは、満足のいく結果は得られません。
逆に、どんなに超絶的な技巧を手に入れても、その技術によるサウンドがあなたのイメージの中に存在しなければ、それはあなたの音楽に必要のないものなのかもしれません。
いずれにせよ、僕たちはやはり、毎日触れ合うたびに、愛しいギターをさらに深く理解するのだという誓いを立てるべきなのでしょう。
何をどうすればどんな音が鳴るのか。
その音は人にどんな感情をもたらすのか。
僕は20年以上ギターを弾いていますが、いまだに触れるたびに発見があります。
そのたびに、嬉しくなります。
僕たちはそうするだけできっと、幸せな人生を歩んでいけるのです。
あなたの奏でる音を信じる
実は、ここで躓く方が非常に多くいます。
先ほどもお話ししたように、人はみんな「自分の音楽」を聴いています。
なのに、自分の外の世界のどこかに、「絶対の音楽」があると信じたくなってしまうのです。
あるいは、ある程度技術を磨いた方なら、自分の好みや価値観と異なるサウンドやアプローチを取っている人を見て、「そんなものは音楽ではない!」と否定したくなってしまうこともあるかもしれません。
少なくとも僕はそうやって、自分の音楽を否定し、他人の音楽を否定していました。
断言しますが、全ての人類が賞賛し、感動し、お金を出してくれるよな「絶対の音楽」など、絶対に存在しません。
僕やあなたの音楽もまた、絶対ではないのです。
絶対的な何かにすがりたくなるのは、自分に自信がない時です。
自分の絶対を主張したくなるのも、自分に自信がない時です。
その気持ちは、痛いほどよく分かります。
だからこそ、僕たちは音楽がそもそも楽しく、愛おしく、シンプルで素晴らしいものだということを、思い出さなければならないのです。
「あなたの音楽」こそが、あなたにとっての絶対の音楽なのです。
それを忘れて、ありもしない「外の世界の絶対の音楽」などを追い求めていては、僕たちは拗ねてしまいます。
あなたが拗ねてしまいます。
僕たちは自分の奏でる、未熟で稚拙で曖昧な音楽を、それでも信じていればいいのです。
自分の好みというミクロの谷の底には、同じ好みを持つ人々がたゆたう深淵で広大なマクロの世界が広がっています。
人間とは、そういう風にできているのです。
僕たちはただ、僕たちの底から湧き上がる音楽に身を委ねていれば、それでいいのですよ。
まとめ
ただ「ロックな演奏をアコギ弾き語りで表現するには」というだけの簡単な記事にするつもりだったのに、気が付くと書いている僕自身が夢中になって、これまで僕に寄り添ってくれた音楽への感謝の気持ちを書き綴るラブレターのようになってしまいました。
読みづらいところもあったことでしょう。
目を向けてくださったあなたに、心から感謝申し上げます。
音楽は、僕にとっては人生を楽しむ道具のひとつです。
おもちゃと言った方が、ニュアンスが近いかもしれません。
とても愛おしい、大切な、そして絶対に壊れることのないおもちゃです。
あなたにとっては、どうでしょうか。
これからも僕は音楽やギターへのラブレターを書き続けます。
あなたの心に何か触れるものがあったなら、ぜひまた、この場所でお会いできますよう。
ご愛読ありがとうございました。