わが愛しのAm P.57:思い出ダイジェスト⑧(2018/09/30)

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修学旅行は京都

小学校の修学旅行の行き先は京都だった。新京極で自由時間をもらった時、当時まだ出始めだったプリクラ機を見つけて、だいすけくんときょうへいくんと3人で写真を撮ったりした。その時の写真は実は今も残っていて、実家の机の引き出しに入っている。誠に勝手な話しなのだけど、当時の僕は彼らを自分の中のカースト制度で僕よりも上に置いていたから、少し緊張したりしていた。

2日目は日光映画村に行った。アトラクションよりもゲームコーナーにあったチョロQのレースゲームの方が記憶に残っている。としゆきくんが前の日に新京極でお小遣いの大半をはたいて買ったギャオッピ(たまごっちのぱちモン)をなくしたと泣きながら騒いでいるのを見ながら、僕はディッピンドップという美しい砂つぶのようなアイスに感動したのだった。

林間学校

夏も終わりかけた頃だったと思う。ひとつ下の5年生と一緒に林間学校に行く機会があった。場所は和歌山県の白崎少年自然の家というところで、僕は生まれて初めての飯ごう炊飯とキャンプを経験した。

確か、雨が降るだか降らないかで、テントになるか施設の部屋でベッドになるかの分かれ目だったと思う。雨は見事に踏みとどまってくれたので、僕らは大喜びしてテントに突撃し。。。あれ?、違う、テントに泊まったのは、僕が5年生の時の林間学校だわ。6年生の時はどうだったっけ?

・・・りんかんがっこうはすっごくたのしかったです(放棄)

お江戸日本橋

6年生の時の音楽会では、たしか5、6年生が合同で『お江戸日本橋』の合奏をした。僕は木琴の担当だったとおもう。当時から鍵盤系の楽器が苦手で、しかも楽譜を読めなんて言われちゃったもんだから、音と形でギターを弾いていた僕は、趣味が音楽というアドバンテージを全く活かせないまま練習を重ねた。

ところが何だか合奏自体はすごく出来がよくて、当日までの予行練習では、おそらく参加した生徒や先生全員がビリリと痺れるものを感じ取っていた。本番、演奏は大成功を収めた。お化粧をバキバキに仕立ててきていたきょうへいくんのお母さんの「アンコール!」という声援もあり、近畿地方のど田舎小学校にあるスカスカの体育館に、二本目の日本橋が掛かった。もしかしたら、これが僕の音楽的成功の原体験だったかもしれない。

そのベルトおいくら?

小学4年生の頃くらいからECCの英会話教室に通っていた。他の人ができないことができる、ということに異常な執念を抱いていた僕だから、自慢の英語を披露できるほどよい難易度のチャンスはないものかと、常日頃から狙いすましていたのだった。

いよいよチャンスの日がやってきた。中学校に英語のサポート教師として赴任していたアメリカ人の先生が、小学校に顔を出しに来るというのだ。初めて見る外国人は、スタイルの良い金髪の若い女性の先生だった。何か質問はないか、という段になって、僕はドキドキしながらも、ドヤ顔で僕的最高レベルの英語を披露した。

「はうまっち、いずゆあべると」

その先生は金髪を揺らして驚き、「ごめんね、覚えてないの」と、大変に聞き取りやすい、ゆっくりとした英語で答えてくれた。

後から、クラスメイトの誰かに「さっき、何聞いたの?」と聞かれて「ベルトの値段を聞いたのさ」とドヤ顔で答えたけれど、「なんでベルトの値段聞いたの?」という質問にはどうしても答えられなかった。たぶん、まだ習っていない英語だったのだろう。
 
 
革の編み込みベルトの画像


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