わが愛しのAm P.77:上京(笑)(2018/11/09)

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いざ、関東へ

専門学校の卒業を間近に控えた僕は、どうにかして生活環境を大きく変えたいと思った。そこで同じ学生寮で2年間を共に過ごした声優志望の友人である中西さんと共に上京し、ルームシェアをしながら夢を追いかけることを決めた。

上京と言っても、行き先は千葉である。中西さんのお父上の友人が千葉で不動産業を営んでおり、その方に我孫子というところに安いアパートを見つけてもらうなど(確か、2DKで45000円とか)、実に気楽な上京であった。

新しい拠点と新しい不安

千葉にやってきた僕は、さっそくコンビニの夜勤のバイトを決めて、拠点となるライブハウスを探した。すると我孫子からほど近い柏という街に「Wuu」というライブハウスがあることが分かった。そこで開催されているオープンマイクなるイベントに顔を出したところから、僕の関東での音楽活動が動き始めたのだった。

バイトの初任給でMTR(レコーディング機材ですね。当時は既にPCを使った音楽製作の作業が一般化していたけど、MTRは専門学校で散々使い倒していたので、こっちの方がよかろうと思ったのです)を購入した。週6日で夜勤をして、朝9時ごろから昼の12時まで寝て、昼から音楽。そんなストイックな生活をしていた僕は、常に不安と隣り合わせだった。

MTR、BR900CDの画像

よくある話しなのだけど、ファンができない。オープンマイクは音楽を「やりたい」「聴かせたい」側の人間が集まる場所だから、純粋なリスナーと出会える場所ではなかったのだ。

そこで、ライブハウスでライブをしよう、ということになるのだけど、集客能力のなかった僕は毎回出演ノルマを負担することになる。しかも、出演ノルマを払ってライブハウスに行ったところで、他の出演者もほとんど集客ができていない。僕がうまくシステムを作れなかったことも大きな要因ではあったけれど、箱の固定客や共演者のファンを自分のファン化していくという昔ながらの手法を実現することは、困難であった。

せっせとバイトで稼いだお金をライブ出演で消費していく毎日。当初精力的に活動していた僕は半年ほどで疲弊し、自室でただただ技術を磨き続けるだけの、演奏オタクになっていった。

残念なふたり

仲良しこよしで一緒に上京してきた中西さんとの折り合いが悪くなり始めたのも、この頃だった。僕が気にするところを、彼は気にしてくれない。彼が気にするところが、僕は気にならない。よくあるルームシェア問題だけれど、こちらに対してもどうすればいいのか分からなかった。

ガタついた人間関係に、僕は音楽がうまくいかない悶々とした気持ちのはけ口を求めた。彼の気持ちを慮ることはなく、自分の満たされない不満を部屋中に撒き散らして、僕は1年ほどでルームシェアの解消を申し出たのだった。迷惑だったろうなあ。


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