「アートは職業になじまない」という記事を読んでミュージシャンとして思うこと。

今日facebookのタイムラインを追いかけていたらこんな記事が流れてきた。

・→アーティストとして生きること

その内容をいくつか抜粋すると

3. この幻想「プロのアーテイスト=絵で飯を喰う人」という図式は誤解ではないか。アートは職業になじまない。むしろ、アーテイストは生き方である。自分の生 活は別途、自分で支え、自らの想いを納得のゆくまでカタチにし、他者へ伝えようとする人間。生き方。それは素晴らしい生き方だと思う。

6. この生き方、絵描きに限らない。評価されるされないに関わらず、自分が良いと思える事を人と比べず追求する。そんな人はもうすでに本物のアーテイスト。そう、実は、アートは絵描きだけの専売特許ではない。誰もがアーテイストに成れる。Art in You

7.そもそも職業とは誰かのニーズがあり、そのニーズに応えて成立するもの。アートには、もともとニーズがない。自発 的に想いをカタチしているだけ。だから職業となじまない。しかし、ごくまれに職業として成立してしまう者が現れる。ここが、幻想を生む原因だ。では、これ を、どう考えれば良いか。

になる。

ここだけ読むとネガティブな印象を持たれかねないけれど、記事序盤のインパクトのある節を引用させて頂いた。このページの記事はこの後に「アートで飯を食う」という幻想を捨て、アートを「生き方」と捉えるように語っている。全くもってその通りだと思う。

でも、ひとつ思うのです。

どうして、自分のニーズだけに注目するんだろう。
どうして、人のニーズだけに注目するんだろう。
どうして、自分と人のニーズが重なるところに注目しないのだろう。

排他的な自己の価値観の中でただそれだけを見つめる行為のみをアートと呼ぶのなら、誰が何と言おうとアートは食えない。人が美しいと感じる美意識の境界線を越えていようが、圧倒的な技巧と感性と表現力があろうが、自分のニーズのみに注目した作品がアーティストの生活を支えるレベルで売れていくことは、偶然でしかあり得ない。

誰が何と言おうと「売れる/食える」というのは、音楽で言えばリスナーの求める気持ちが十分以上に満たされ続けて初めて至ることの出来る状態です。いつだってお金を出してくれるのはファンの方です。でもそこで

『他人のニーズを満たすものはアートではない』

という定義をしてしまう必要は、ないんじゃないかな。自分のニーズを満たしながら、ファンの方、自分のサウンドや表現で幸せな気持ちになれる方の美しいものを感じたいというニーズを満たすことも、アリなんじゃないかな。

自己への没頭でしか至ることの出来ない世界は、確かにあると思う。僕は歌詞を書くから、音楽家であると同時に作家で、ストーリーや人物というものを大切にしているからこういうことを思うのかもしれない。自分の身体ひとつがようやく通ることの出来るトンネルを掘り続けること”だけ”をアートと呼ぶのなら、僕がやっていることはアートじゃない。

事実、実感として自分がやっていることをアートと呼ぶことには違和感があるんだけどね。僕は、僕をやっているだけ。自分が思うことを自分が良いと思う形で作品にしているだけだし。

だから、決して強固な姿勢でいる訳じゃないんだけど。

自分を満たす。

人を満たす。

その間にあるものを、僕は何度も感じてきたから。自分を満たすことだけでは満たせないものを、人を満たすことで満たせることを知っているから。もっとたくさんの可能性があることを、僕はこの記事に付け加えたい。

この記事を読んでくれているあなたにも、あなたと、あなたに関わる人全てが幸せになるようなワガママで贅沢な選択をしていいんだよと。そんなことを考えてみてもらいたい。

image家具は、その極み。