どうして感謝すると人生がうまくいくのか分かったから論理的に整理してみた

ゆうさく
ゆうさく
和歌山の実家からゴンパチの佃煮が届いたから大喜びして食べてる。知らんよね、ゴンパチ。生食もできる山菜なんだわ。


何かある度に「みなさん、感謝しましょう」って言ってる人って、キモいじゃないですか。意味分からんというか、は?的な。こっちはそれどころじゃないんですけど的な。お前何にも分かってねぇクセにテキトーなこと言うな的な。

僕の中にもそういう感覚があって、だからその「は?」感が邪魔で、素直に能動的に感謝する、みたいなことはやってなかったんですよ。だって「は?」って思ってるんだもん。納得してないことはできないもの。

その風潮が、ここ半年くらいで変わってきたのです。

妻と二人三脚で子育てをしていることや、仲間が僕の新しい働き方をすげぇ支えてくれていることの存在感が大きくなってきて、意識していなくても、勝手に自分の中から感謝の念が湧き上がってくる機会が増えた。

そしたら凄まじい勢いで、おいらのQOLがもりもり上がり始めたのです。もちろん、主観でしかないんだけども。

で、逆に感謝の念が沸いてない日は堕落モードというか、全然ダメな感じ。ちょっとしたことでイライラするし、何も作る気にならないし、自分がブレるし。なんやねんコレと。

なのでちょっと腰を据えて、自分に何が起こっているのかを整理してみました。

感謝しまくると、不安や怒りの居場所がなくなる

先日楽しみにとっておいたローソンのプレミアムロールケーキが謎の消失を遂げた。様々な状況から、犯人は妻であると推測される。

しかし決定的な証拠がない上に、妻と僕の立場は、世界を牛耳る魔王と、魔王も存在を知らない僻地の村の側溝で暮らすザリガニくらいの差がある。

意義を申し立てるためにハサミを振り上げても、気付いてもらえる可能性は低い。たぶん、気付かれたら気付かれたで、村ごと焼かれるだけだと思う。

絶望のどん底で、僕は妻に対して感謝を試みた。十数年間、僕と一緒に居ることを選び続けてくれていること。家庭のタスクに共に取り組み続けてくれていること。息子を産み、一緒に育ててくれていること。チワワ達と出会わせてくれたこと。プッチンプリンは残してくれていること。

するとどうだ、ザリガニの胸中を支配せんとしていた怒りや悲しみ、これからも大好きなスイーツが略奪され続けるのではないかという不安が、みるみる消えていったのだ。

ザリガニはハサミを振り下ろし、プッチンプリンを食べられることに感謝した。村の側溝は平和に包まれ、平穏と安寧が訪れたのだ。

人の心の中には感情というフィールドがあって、常に様々な感情が同時多発的に蠢いている。意図的に感謝の感情を生み出すように心掛けると、感情フィールド内で感謝の面積が広がる。

感情フィールドの面積は一定なので、感謝の感情面積が広がると、その他の感情のサイズが小さくなったり、消えたりする。例えば、不安とか、恐怖とか、怒りとか。

だから感謝の感情を育てるのが上手い人は、不安や恐怖、怒りの感情が生まれても、それらの感情が育ち切ることがない。多少育つことがあっても、すぐに感謝の感情を育て始めるので、小さくなっていくのだ。

感謝の感情は、ポジティブな感情の中でも意図的に育てやすい。思考を使って論理的に感謝の根拠を探しやすいからだ。感謝の感情を育てれば、ネガティヴな感情が消えるうえに、いい気分でいられる時間が長くなる。やらない手はない。

ひとつ注意点がある。感謝の感情は育てないと育たないということだ。恐怖や怒りや不安は、放っておいても雑草のようにざくざく育ってしまう。ネガティヴな感情が育っている時は、感謝の感情を育てられていない時だということだ。

何かうまくいかない時、ネガティブな感情が大きく育っている時に「感謝が足りない」と表現されるのは、そういう理屈である。だから、意図して感謝しよう。感謝してプッチンプリンを食べよう。この側溝で平和に暮らすのだ。

感謝しまくると、勝手にポジティブでアクティブになる

意図的に、論理的に感謝し続けていると、勝手に気分が明るくなってくる。ポジティブになってくる。ポジティブになると、僕たちは勝手に行動を起こす。

感謝の感情を育てたザリガニは、残されたプッチンプリンで幸せになることを選べることに気付く。しばし検討した後、僕はプッチンプリンを皿にプッチンし、傍らにマーブルチョコを配置しつつ、コーヒーを淹れた。

プッチンプリンとマーブルチョコの食感の対比。めくるめく甘みの大波。それをいさめ、振り出しに戻し続けるコーヒーの香りと苦味。至福のひとときである。ザリガニご満悦。

プレミアムロールケーキが食べられなかったことは残念だが、あれが魔王さm、、、愛する妻の幸福となり、一部となったと思えば、むしろ喜ばしい。

妻よ、プレミアムロールケーキは美味かったか。プッチンプリンも美味いぞ。あれ?我々幸せにしかなってなくね?ヤバくね?ウェイウェウェーイ!

こんな感じで、最初は意図して、根拠を元に、論理的にスタートを切った感謝の感情も、どこかで作り物ではない天然の感謝につながる。だから安心して、作り物の感謝を積み上げればいい。

感謝しまくると、自分の心が客観視できるようになってくる

感謝でネガティブな感情が減少する。こう言うと、ネガティブな感情が育った時にだけ感謝すればいいと勘違いする者が現れる。僕だ。

感謝の感情は、ネガティブな感情へのカウンターではない。実際問題として、不安や恐怖、怒りに支配されている時に「感謝しろ」と言われても、無理です。少なくとも僕にはできない。だってザリガニだもの。

感謝は体調の管理に似ている。対処療法的に使っては効果が薄い。日ごろから常に感情フィールドの7〜8割くらいを感謝の感情で埋めておくことが肝要なのだ。

そうすると、いざ不安や恐怖といったネガティブな感情が生まれても、それらが急速に育つことを防いでくれる。また、感謝をホールドする感覚を体で覚えられるので、もしネガティブな感情がある程度育っても、感謝モードに戻りやすくなる。

常に感謝モードでいるためには、少し覚悟がいる。どういう覚悟か。常に目の前にあるものに感謝し続ける、キモい奴になるという覚悟だ。

僕が敬愛する書道家の武田双雲は、夕日を見て泣き、素人の筆遣いに感動し、毎晩寝る前に自分の枕にキスをするという、だいぶキモい人だ。でも、感謝モードでいるというのは、そういうことなのだ。

今あなたの近くに、何があるだろう。スマホ、コーヒーカップ、ボールペン、トイレットペーパー。何でもかまわないから、それに感謝できる理由を考えてみてほしい。何を見ても、感謝できる理由を探す努力をしてみてほしい。

病気に負けない身体とは、病気にかかりづらく、かかっても回復の早い体のことだ。そのためには、健全なコンディション管理が必要だ。

ネガティブな感情に負けない心も同じである。ネガティブな感情が生まれづらく、生まれても大きく育ちにくい心ということだ。そうであるためには、日常的に健全なコンディション管理が必要となる。

そのうち最もハードルが低く、シンプルで、誰にでも取り組めるのが、物理的に目の前にあるものに、片っ端から感謝できる理由を探すことである。

キモいね。キモいから、みんなやらないよね。ところで、これをやってなくて幸せそうな人、イメージしづらくない?そういうことです。

感謝しまくると、コンディションキープの大切さが分かる

日常的に感謝しまくる修行をやっていると、上手く感謝ができる日と、できない日があることに気付く。上手く感謝ができない理由は色々あるけれど、個人的に最も大きいと感じるのは、身体のコンディションが落ちていることだ。そういう時は、どう頑張っても感謝モードに入れない。

身体のコンディションを落とす原因三銃士を紹介するよ。

寝不足「夜23時を過ぎるとヤル気が湧いてくる」

乱れた食生活「ポテトチップスは野菜」

運動不足「わざわざ疲れることする必要なくね?」

この辺の生活習慣を見直しつつ感謝モードの修行を続けていると、ある時急に視界が開けて、自分の思考や行動、人生は、自分の意思で選択できるのだという感覚に出会う。

一朝一夕では変えられないかもしれないが、コンディション管理は100%毎日を豊かにしてくれる自己投資の第一歩だ。最近はその手の書籍も多く発売されているので、ピントくるものを探して実践してみると、すげぇ楽しいよ。

だから、感謝しまくると、人生がうまくいく

結局のところ、僕らの人生の良し悪しというのは、感情フィールドをどの感情がどれくらい占拠しているのかに掛かっている。

終わり良ければ全て良しというけれど、それは、最後にいい感情が感情フィールドを埋め尽くしていれば、それまでの残念な気持ちもポジティブに解釈し直せる、という意味だ。

でもどうせだったら、物事に取り組んでる最中から、いい感情と一緒にいたいじゃんね。

だから、作り物の感謝をバンバン作ろう。周りの人達一人ひとりに感謝できることリストを作って、毎朝見返そう。触れたもの全てに感謝できる理由を探そう。キモい幸せ者になろう。ちょっとずつね、やっていこう。

今さっきLINEを見たら、妻から「朝食べるからプッチンプリンには手を出すな」というメッセージが届いていた。二階で妻が起き出す物音が聞こえる。僕の感謝ちからが、今試されている。