たくさんの絶望が希望につながる理由

最近HimarayaというWebラジオアプリで音声を配信しています。

その時に思いついたことをそのまま膨らませるという、実に準備の少ない収録方針を取っているのですが、その分これまでのどのメディアよりも、自分の素に近い考えが出ていると感じます。

で、たまに自分の収録したタイトルを振り返るんですが、「諦める」とか「絶望する」みたいなテーマがものすごく多くて自分でびっくりしました(笑)。

びっくりしたついでにさらに考えを重ねてみたんですが、僕は「やりたいこと」と同じくらい、「やれないこと」とも向き合おうとしているのだなと、自分で感じ入った次第です。

「やりたいけど、やれない」。とても切ない響きです。受け入れると、絶望がやってきます。「やりたい」という希望が絶たれるわけだものね。

でも、それが大切だと思うんです。今日はそんなことを少し考えてみます。

「やりたいこと」と「やれないこと」を繰り返して生きる

僕はサザンオールスターズの桑田さんみたいなミュージシャンになりたくて、音楽家を目指しました。練習して、勉強して、実践して、得られた答えは、「桑田さんのようにはなれない」というものでした。

僕は14歳の時に桑田さんに憧れて、28歳の時にミュージシャンを廃業したので、まさに人生の半分を使って「やりたい」と思い、取り組んできたことが「やれない」ことだったということです。そう考えると、なかなかキツイ。

ところが、「やれないこと」を受け入れてミュージシャンをやめてみると、次の流れがやってきました。結婚したり、今の会社のボスに声を掛けてもらってマーケティングの業界にやってきたり、そのボスのおすすめでアレクサンダーテクニークやNVCといった、今心血を注いでいるいろいろな物事に出会うわけです。

そのうち、うちの会社が手掛けているマーケティングの仕事は、僕にとっては「できないこと」だということが分かります。それを受け入れて周りを見渡してみたら、アレクサンダーテクニークやNVC、そしてそれまで積み重ねていた音楽の知識を使って、次の仕事が生み出せるようになっていました。

子どもの頃に夢見たものになり、夢の世界に生きて一生を終えていく人って、いるんだろうか。スポーツ選手なら必ず選手としての寿命がやってきます。イチローだって引退したものね。あれ以上は「やれない」と判断したんだと思います。もちろん、すごく高度なレベルで。

でも、人が生きていくって、そういうことじゃないかと思うんです。「やりたいこと」があって、やってみて、「やれないこと」だと分かる。そういうことを何回も繰り返しているうちに、「やりたいこと」であり「やれること」が少しずつ残っている。

総当たり戦ですか?イエス、ローラー作戦です。「やりたい」と思ったことが、自分に向いているかどうかを判断することができるのは、既に大量の「やれないこと」を見つけている人…つまり、多くの絶望を抱えている人、ということです。

「やりたい」と思ったことが「やれること」なのかどうかが分からない、という人は、それをやってみるしかないんです。だって、分からないんだもん。

絶望は質より数

「多くの絶望」という書き方をしました。絶望というと、なんだか人生が断裂して、それ以上の希望が持てないような、絶体絶命的ニュアンスを受け取る方も多いと思います。

ちゃうねん。

絶望ってもっとフランクです。生きてると巨大な絶望がやってくることもあるけど、自分が「やりたい」と思ったことに取り組んで「やれない」と分かる、この手の絶望は意外と手に負えます。

何より、絶望の数が多いっていうのは、トライした回数が多いってことです。「できない」気持ちが分かる人って、素敵だと思うのよ。

絶望するために希望を抱け

さっきちらっと名前を出したNVC、「非暴力コミュニケーション」と訳します。これは巷に溢れるコミュニケーション術とはちょっと違う、もう少し大きなコミュニケーションの作法のようなものです。

このNVCでは、僕たちは誰しも心の中に「ニーズ」を抱えていると考えます。そのニーズが満たされれば幸せを感じるし、満たされなければ不快感があるということです。

で、誰の心にもある、ニーズの中でもとりわけ根源的なニーズというのがいくつかありまして、そのうちのひとつが「幸福」です。僕たちは「幸福」のニーズを満たすために、いろいろな活動に勤しむわけです。

ですが、人生不思議なもので、「どうすればそのニーズが満たされるのか」は、はっきり分からないことがほとんどです。だから、目の前にやってきた手掛かりには、手を出してみるしかない。でもそうすると、失敗する未来と出会うかもしれない。

それ、早く出会った方がいいやつです。やろうかどうかで1日悩んだら、その先にある本当の「やりたいことで、やれること」と出会える日が1日遅れます。

行動できない人は多いですし、行動できないこと自体を責めるつもりは一切ないんですが、これまでの経験上、人生を楽しんでいる人は「やりたい」と思ったら次の瞬間にはやり始めているし、「アカン」と思ったらさっさとやめています。

逆に、人生を辛そうに、あるいは退屈そうに、または不安そうに過ごしている人は、何ヶ月でも何年でも自分の「やりたいこと」を寝かせています。

良いとか悪いとかでなく。煽りたいわけでもなく。

けれど、どうやら「やりたい」と思ったことにとっとと手を出している人たちの方が、人生を楽しんでいるっぽいぞ、ということを、僕は知ってしまっているわけで。じゃあ僕はどういう人生を生きたいのか。そのために何を選択するのかを、決めないといけないわけで。

だから人生を楽しみたいと思ってしまった僕はつまり、小さな絶望を大量に産み出しながら生きていくしかない、ということなのですよ。

絶望が、自分という人間の輪郭を描いてくれる

最後に、最近気づいたことなんですが、絶望って、自分という人間を知るためのいい指針になります。

絶望はつまり、「やりたかったけど、できなかったこと」だと言いました。そうやって「できないこと」をなぞっていけば、いつか「できること」という扉が見つかります。その扉を出て、また「やりたいこと」をやりながら、「できないこと」という壁をなぞって、次の扉を目指すのです。

そうやっていると、自分にできることはどういうことで、できないことはどういうことだ、という、統計が見えてきます。精度の高い統計には、多くのサンプルが必要です。「やりたかったけど、できなかったこと」、つまり絶望に出会えば出会うほど、僕たちは自分を深く理解していけます。

そしてその結果、「やりたいことで、やれること」がどこにあるのか、その匂いが分かるようになってきます。

だから、今「やりたいこと」がある方は、ぜひとっととやってみてください。で、できたらハッピー。できなくてもハッピーです。うまくいかなかったら、フランクに、お手軽に失敗しましょう。絶望しましょう。しっかり落ち込んで、次の「やりたいこと」に向かいましょう。

そやって自分と出会っていく人生を、自分の人生と呼ぶのだと思います。


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