虐げられる喫煙者への今後の対応。


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カフェで知的な創造活動(今朝アップした2分ほどの短い動画の訂正作業だ。3箇所もある。)に勤しんでいると、少し離れたところにある喫煙エリアからサラリーマンらしき二人組の話し声が聞こえてきた。
彼らは極端な分煙を憂いており、喫煙者の人権復興を訴えていた。

僕は喫煙者ではないが、虐げられる者の気持ちは分かる。
過去様々な者たち(「彼女様」「優秀な後輩」「近所の犬」など)から虐げられて生きてきたからだ。

中でも最も記憶に残っているのは、高校時代、数学の成績が悪く、補修を受けさせられた時だった。
教師の教え方が未熟なために貴重な青春を消費させるなど、虐げられているにも程がある。
ため息を吐きながら教室に入ると、そこには虐げられて当然と思える面々が肩を並べてゲラゲラと笑い合っていた。

理不尽に打ち震えながら席につくと、実にのんびりとした口調で全く緊張感のない喋り方をすることで有名なO先生が入ってきた。

「さぁ〜、お前ら、あ〜〜〜〜なっ、さぁ、あのぉ〜〜〜・・・補修な、あのぉ〜〜〜ちゃっちゃとな、あのぉ〜〜〜やって、な、早よ終わらせよな」

O先生は早く終わらせる気などさらさら無いに違いない、間延びの極みとも思える壮大な挨拶をされた。
計算の早い者なら、数学の問題を2問は解けていただろう。
教室の中に計算の早い者が一人もいなくてよかった。

補修は実に間延びして進んだ。
僕の通っていた高校は授業1コマが90分というシステムであったのだが、体感としてはその3倍はあっただろう。
授業は遅々として進まず、周りの連中は寝るか、喋るか、ゲームをするといった様子である。
肝心の数学に関する理解は一切深まらず、かわりに顔のシワが深まった。

今後二度とこのような目に会うまいと気合を入れて挑んでいた僕も、気がつくと隣の壁にもたれ掛かってウトウトとしていた。
この時間は、一体何なのだ。
青春を切り取られ、愚か者の集う部屋に押し込められ、聞くものといえば地方のコミュニティラジオ番組よりも遥かにつまらない数学の授業である。
これを地獄と言わずして、何と言うのか。

現実に戻ってきた僕は苦しかった過去の思い出を胸に、今まさに喫煙エリアへと追いやられているサラリーマン達に憐憫の眼差しを向けた。
彼らは職場で追いやられ、自宅で追いやられ、そして今このカフェでも追いやられているのだ。
これを憐れまずして、何を憐めというのか。

「もうちょっと、堂々と吸いたいよなあ。」

「俺なんか、何にもしてないとずーーーっと換気扇の音が聞こえてる気がするもんね。」

涙が出てきそうだ。
仕事に励み、社会に貢献し、経済活動に人生を捧げる世の男がこの有様である。
彼らはもっと救われていいのではないか。
少なくとも、喫煙という自己のリスクを伴った行為くらい、もう少し多めにみてやってもいいのではないか。

そう思い溜息をつこうとした瞬間、喫煙ルームから漂ってきた微量の副流煙が僕の鼻腔に飛び込み、そのまま肺胞機関への侵入を試みた。
僕は大いに咽せ込み、その拍子に手に持っていたiPhoneを床に落とした。
それ以降、僕のiPhoneはおよそ1時間おきに電源が自動で落ちる謎の新機能に目覚めている。
喫煙者は、今後一切の副流煙が僕の元に届かない、洋上の密閉施設などでタバコを吸うべきだ。