最近個人レッスンをしている生徒さんが「ロックなバッキングをして歌いたい!」なんておっしゃるもんですから、改めてアコギ弾き語りでロックをする、ということを考えてみます。
さてさて、一言でロックと申しましても、ハードやらメタルやらグランジやら何やら、ジャンルを問い始めるとんもうキリがありません。
だいたいなんでもそうですが、「ロックっぽい」という言葉に込めるイメージや意味もまた、人によって千差万別多種多様。
「ロックっぽく弾き語りたい」とだけ言われると、ちょうどイマドキの女子に「かわいいお店に行きたい!」って言われた時と同じような気持ちになります。
言われたことないけど。
そんな訳で、とりあえずの定義として、ワタクシが「ロックなアプローチ」とか、「ロック風」とか、「ロックっぽい」とのたまった場合には、それはメリハリのあるビートを前面に押し出す演奏のことを言ってるんだなぁと、ふんわり思っておいてください。
さて、ここで賢いアナタはこう思うでしょう。
「ビートにメリハリのある演奏って、本当にそれだけでロックっぽくなるの?」と。
僕はロックンローラーではありません。
僕はフォークを愛し、ブルースを愛し、ポップスを愛し、それらと同列にロックを愛しています。
音楽たちとの逢瀬に関しても、時にインストゥルメンタルにうつつを抜かし、かと思えば前衛音楽や実験的なフリーセッションに音楽的非日常を求め、その反動でジャパニーズオールディーズナンバーを繰り大衆への迎合を試みるなど、大変な浮気者です。
そんな浮気者が「ロックっぽい曲」と「ロックではないっぽい曲」の最も顕著な違いとして感じているのが、メリハリのあるビートを前面に押し出しいるかどうか、という点なのです。
たとえば、YouTubeで演歌やグループ・サウンズ、フォーク、ジャパニーズポップスを聴いた後に、ローリングストーンズやエアロスミス、ボン・ジョビといった海外の分かりやすいロックミュージシャンの演奏を聴いてみてください。
「ノれる」度合いが明らかに異なることに気付くでしょう。
そう、これはどちらが良い、悪い、の話しではありません。
ロックというのは、僕たちが日常的に触れる機会のある音楽の中でも、ことさらビートを楽しむことに重きを置いた音楽であるという、それだけの話しなのです。
ポップスだと思って聞いていた曲が、ドラムのボリュームが上がるだけでロックっぽく聴こえるようになった経験は、あなたにもあるかもしれません。
僕が愛してやまないサザンオールスターズのBOHBO No.5という曲は、膨大な音がわんさと折り重なった最高のお祭り騒ぎ的ジャパニーズポップスですが、シングルバージョンに対してアルバムバージョンではドラムのボリュームがプッシュされておりまして、ビートが強調されることで明らかにに「ロックっぽさ」が増しています。
あるいは、そんなマニアックなところを突かなくても、街のライブハウスで聴くバンドの生演奏はドラムやベースのアタック感を空気の振動として全身で感じるので、MP3やCDの整ったミックスで聴く音源よりも遥かに「ロックっぽさ」の要素を強く感じるでしょう。
ということで、僕は弾き語り演奏におけるアプローチに関しても、「メリハリのあるビートを前面に押し出す」ことで、ロックっぽさを大いに演出することができるのよ、ということにしているのです。
さて、やはり賢いあなたはもう気付いたでしょう。
ロックっぽさとは、メリハリのあるビートを前面に押し出すという、そのアプローチにこそ宿るのです。
リフやメロディー、幾何学模様のストラトキャスターやギブソンのロゴ、ロン毛や赤マルやファッ◯的フィンガーポーズは、サウンドとしてのロックの本質ではないのですよ。
なので、弾き語りのスタイルでロックな演奏をしたいと熱いパッションを隠し持つあなたには、両手いっぱいの愛と共に「メリハリのあるビートを前面に押し出してごらん」という言葉を送りましょう。
甘く切ないバラッドや、華やかなポップナンバーに加えて、脊髄をシェイクするようなロックのビートを手に入れてしまえば、オーディエンスはあなたのことを忘れることなど、もはやできなくなるでしょう。
ところで、気になりませんか。
「メリハリのついたビート」はどういうものか?
どうすれば、「ビートを前面に出した」ことになるのか?
もし今あなたがその答えをお持ちでなければ、次回の記事をお待ちください。
きっとまた僕たちは、音楽への理解と愛を深めることになるでしょう。