僕は小学生のころ、地元の少年野球チームに入っていた。
と言っても特別野球が好きだった訳ではない。
当時六人しかいなかった同級生の男子のうち、僕を除く五人がみんな揃って少年野球チームに入ってしまったため、仲間外れになるのが嫌で入団したのである。
入団までの道のりはとてつもなく長かった。
はっきりした理由は今も分からないのだが、親父が僕が少年野球チームに入ることに反対したのだ。
野球チームに入りたい。
アカン。
それだけのやり取りを一年近く繰り返した。
その間は同級生の遊び相手が誰もいない週末をうんざりしながら過ごした。
学校でも野球の話しが始まると何も話せなくなるので大変に面白くない。
親父は弟達と遊べば良いと言うのだが、遊びざかりの小学生がそれで満足できる訳がない。
度重なる交渉の結果、何がきっかけだったのか親父は僕の野球チームへの入団を許可し、僕はひとつ年下の弟ちゅわさんと二人して少年野球チームに入団した。
小学五年生の、秋のことだった。
時は流れて小学六年生の夏。
出れば負けの弱小チームだった我が少年野球チームは、実は近所のオッサンオバハンが子供の集まりを理由にワイワイと酒を飲む会であるという事実が判明した。
特に夏ともなれば、オッサンオバハンのお祭り気分は最高潮に達した。
試合に勝ったから飲む。
試合に負けたけど飲む。
試合してないけど飲む。
いつの間にか練習を指揮しているはずの監督の顔も赤くなっている。
便所が臭いから改装しようそうしようと言ってまた飲む。
快音と共にフェンスを越えたファウルボールが茂みの向こうの駐車場に飛び込むと、みんなで恐る恐る被害状況の確認に行く。
そのうち一人のオッサンがボンネットの凹んだ愛車の前で崩れ落ちると、被害を免れた連中が赤ら顔で落胆するオッサンを取り囲み、腹よ千切れよと言わんばかりに笑い倒してさらに飲む。
とにもかくにも集まる度に大騒ぎであった。
そんな夏の、あるナイター練習の日。
誰が提案したのかは忘れたが、練習を早めに切り上げて花火をしよう、という作戦が実行に移された。
この日ばかりはいつも大人達の飲み会を冷めた目で見ていた子供組も狂ったように騒いだ。
何せグラウンドを使ってみんなで花火をするのだ。
家の小さな駐車場や空きスペースでしとやかにパチパチするのとはスケールが違う。
ホームベースと一塁の間にビールの空き缶を並べ、ロケット花火を設置して端から火を付けていった時など、おそらくあれが人生で一番の絶叫であろうと思われる程の声を上げて感嘆したものだ。
そのうちどこからともなく「炸裂花火三連発!」だか何だかという打ち上げ花火が取り出された。
申し訳程度の台座が付いたこの花火は、火を付けると砲身の先から三発の花火が秒感覚で飛び出し、しばらく上昇を続けた後に「パンッ」と小気味いい音を立て、閃光と共に爆発するというものだった。
「これ一箇所にまとめて置いたらかっこええんちゃうか」
誰からともなくそういう話しになり、僕たちはヤイヤイ言いながら一塁の隣に花火を三本、まとめて立てた。
「いくぞー離れよよー」
そう言いながらコミックリーダーのなおや君がチャッカマンを片手に花火ににじり寄り、素早く導火線に火を付けると、走って逃げた。
僕はマウンドの辺りでワクワクしならがらそれを見守った。
ほどなくして一番初めに着火された砲身が
「ポズッ」
という思いの外重たい破裂音を上げ、黄色い火の玉が勢いよく飛び出した。
空を切って飛び上がる光を、その場にいる全員が見上げた。
おぉっ、などと声を漏らす者もいた。
それと同時に火の玉を追う視界の隅で何かが小さく転がり、軽いものが倒れるような音が聞こえた。
誰かが叫んだ。
「花火こけたぞぉーっ」
声が途切れるのを待たずに倒れた砲身が黄色く光ったかと思うと、ついさっき聞いたばかりの重い破裂音と風切り音を引っ張りながら真赤に燃える火の玉が、僕の股間に向かって凄まじい勢いでカッ飛んで来た。
このコースはマズい。
野球で鍛えた飛来物に対する危機察知能力が最大音量でアラームを掻き鳴らす。
僕は考える間も無く飛び上がった。
火の玉が僅かに開いた股の間を唸りを上げながら通り抜ける。
やった、かわしたっ。
見下ろした視界から火の玉が消え、気を抜いたその瞬間、尻の真裏で
「バァンッ」
という音がした。
飛び越えた火の玉が、ちょうど僕の尻の下で爆発したのだ。
それはまるで、音に尻を叩かれたような感覚だった。
永遠かと思うほどの残響と浮遊感。
ゆるやかに重力に引かれながら僕は、半身を切って逃げるなおや君に何発目かの火の玉が直撃するのを見た。
そして僕がバランスを崩したままマウンドの、乾いた土の上に還った頃、彼は、爆炎の向こうに消えていった。
結局まともに打ち上がったのは最初の一発だけだった。
残りの八発は子供組の喜び混じった悲鳴を浴びながらライトアップされるグラウンドの四方に散り、爆ぜた。
そしてこの花火祭りは、爆心地から生還したなおや君がテンションの高さのあまり残った打ち上げ花火をチームメイトに向けたところで、さすがにオッサンオバハン組の怒りを買って終焉となった。
この手の遊びはきっと男なら誰もが嗜んでいるだろうが、大人になった今では、子供の頃ほどの情熱を持って向き合えるものではない。
実にエネルギッシュな思い出である。
しかし、苦労して入った少年野球チームでの一番の思い出がこの花火祭りなのだから、当時の自分が毎週毎週グローブを片手に何をしていたのか、疑わしいところだ。
余談であるが、あれほど僕の少年野球チームへの入団に反対していた親父は、僕の四つ年下の弟ぷぅちゃんが小学六年生になるころには自分のユニフォームを持ち、監督だかコーチだかというポジションに収まっていた。
あの一年に及ぶ押し問答は一体何だったのか。
もう少し早く入団許可がおりていれば、こういう騒がしい思い出がもう一つ二つ、増えていたかもしれない。
※2011/12/7更新