さようなら田上さん(仮名)。


写真 2015-02-26 8 14 43


Facebookの方では公言していたのだが、少し前にどうしても自分に必要だと感じる仕事の求人を見つけて、1年間の期間限定でやってみようと応募したところトントン拍子に面接が通り、今研修の真っ最中である。
専門職の強い特殊な仕事なのだけど、その中で必要になってくるスキルが今の僕が最も伸ばさなければならないものであると確信したので、寺子屋やギター教室の情報発信が薄くなることを承知した上で飛び込んだ次第だ。

どういった仕事であるかは、申し訳ないが、伏せておく。
情報管理にかなり厳しい仕事なので、何がどう響くのかが分からないからだ。
気になった方は、リアルでお会いした時にでも聞いてほしい。


その職場の同期に、田上さん(仮名)という細身で、タイトで派手めなファッションが目に映える女性がいた。
「いた」というのは表題からもお察しの通り、田上さんは昨日時点で退職をされていて、もう同僚ではないのである。

僕の職場は大阪某所のビルの上階にあって、かなり広めの休憩室を用意してくれている。
僕はいつも窓際の席にいて、そこで記事のプロットを書いたり、本を読んだりしている。

そんな交流の意図の全くない僕に、田上さんは声を掛けてきてくれたのだ。
自己紹介の時、フリーランスで仕事として音楽をやっていると言ったことで、「私も音楽好きなんです」という女性数名からの声掛けがあり、今まで音楽をやってきて本当によかったと頬を涙で濡らしたものだ。
一度話すと二度目の声掛けがないのだけれど、きっと照れているからに違いない。


僕に話し掛けてくれた田上さんは、「私は三線(沖縄の楽器)をやってたんですよ」と言って声を掛けてくれた。
どれくらい弾いていたのかを聞くと、全然大したことないと言う。
少し沈黙を置いて「小説も書くんです」と言うので、「どんな感じですか?」と聞くと、やはり「全然大したことないんです」と答えた。

テレビ局で働いていた。
そこで関わっていた番組で自宅に撮影クルーが押し寄せてくることになった。
色々な仕事を転々として様々な経験をしてきた。

全て素敵な話しなのに、必ず最後に「それは大したことないんです」と答える。
そのまま研修が始まる時間になったので、僕たちは席を立って無言のまま移動した。


田上さんは、ずっと頭を抱えていた。
独自のソフトを複数台使って処理を進める作業がどうしても上手くいかないらしかった。
隣りの席の同期や講師の方が寄り添って、休憩時間もぶっ通しで練習をしていた。

その田上さんが「無理でした」という電話をしているのを偶然休憩室の隅で聞いた翌日に、彼女は職場からいなくなった。
講師の方が「残念なご報告があります」と言って、彼女の退職を告げたのだ。

人には得手不得手がある。
しかし、得手にも不得手にも根拠はない。

例えば僕は洋服を選ぶのが苦手だが、人と話しをするのは得意だ。
それは、洋服のセンスを笑われ続けている訳でも、お喋りをした相手全員が僕の虜になっている訳でもない。
僕が勝手に苦手だと思い、勝手に得意だと思っているのだ。

そして時に人は、自分は全てのことが苦手であるという思い込みを持ってしまうんである。
僕は数年前、世間が僕をお呼びでないという思い込みから心を患った。
今これほどに誇らしいギターや歌、僕自身の中から溢れてくるメッセージが全て、何の価値もないゴミのようなものにしか感じられなかったのだ。

あの頃僕は「ギターが上手いですね」と言ってくれる方に、目を合わせずにこう答えていたのだ。
「大したことないですから」と。


田上さんの件について、僕に何か出来ることがあったかもしれないと、思わないではない。
しかし、座席の位置や、僕自身に休憩場での談笑を捨ててでもやりたいことがあること、「私なんか大したことない」というありきたりな言葉の奥にある大きな闇に怯えてしまったことを含めて、この結果が僕と田上さんの縁であったと断言する。

いつか田上さんが、これまでの「大したことのないこと」を肴にカラカラと笑える日が来ることを祈って、今日僕は彼女と話した窓際の席から、曇天の大阪を見下ろした。
敷き詰められたようなビルの隙間を大勢の人が、それはそれは忙しそうに流れていた。