やりたいことが分からなくなったら読む記事

ゆうさく
ゆうさく
最近すげえ涙もろいんだけど、この前とうとう皿洗いしてる時に泣いた。お前らがいてくれてるから、毎食美味いもんが食えてるんだよなぁ、ありがとうなぁって言ってたら泣いた。いい仕上がりだと思う。

「衝動的に加湿器を買いに行ってたんで遅くなりました」

そう言いながら″もっさん″がディスプレイの向こうで笑った。加湿器を衝動的に買いに行くとはどういう状況か。友人との約束を反故にしてまで実行する必要のあることだったのか。そんなにしっとりさせてどうするのか。

彼を責める言葉が数十個ほど思い付かれたところで、先日もっさんとの約束に僕が2時間遅れて登場したことを思い出して言葉を飲んだ。遅刻の理由は、約束を忘れていたという、やんごとないものだった。「言葉を飲む力」という本が書ける気がしてきた。

「で、結局何をするの?」

僕は今新しく立ち上げる仕事に向けて、モニターで個人セッションを実施している。主にFacebookで繋がってくれている仲間に声を掛けて、セッションを受けてもらっているのだ。ディスプレイの向こうで助平そうな笑顔を浮かべているこの男はだから、そのモニターの一人なのだ。

モニターを募集するにあたって、一人一人に引くくらい長いメッセージを送らせてもらった。だからモニターとしてPCの前に座り、Zoomなるweb会議ツールを起動させ、僕とディスプレイ越しに相対しているということは、その長い長いメッセージを読んだということである。

それが、「何をするの?」である。いや、何ももっさんの読解力が悪いわけではない。違うって。違うから。そんな酷いこと言ってやるなって、わはははは。

じゃなくて。お恥ずかしながら、僕は僕のやりたいことをまだ、シンプルな言葉にできずにいる。コピーライティングできずにいる。この加湿器男も、90分に及ぶセッションを終え(本当は60分なんだよ?)、すげぇ楽しかったと気分を上げながらも、「これは何だろう」と首を傾げていた。

実際にサービスを体験した人が分からないという、これは何か。自分のために、しばし言葉を重ねたい。

やりたいことをやる、を手伝う

ダイエットを手伝う。

起業を手伝う。

英語の習得を手伝う。

移動を手伝う。

業務の一部を手伝う。

世の中にあるほとんどの仕事は(全てと言い切る勇気はない)、クライアントが何か手伝ってほしいと考えていることを手伝う、という形で成り立っている。手伝う相手は個人だったり企業だったり自治体だったり国だったり、色々だ。

その仕事がうまくいくかどうかを決める要素のひとつに、「何を手伝うのか」という視点がある。ここが分かりやすければ分かりやすいほど、クライアントは仕事を頼みやすい。

例えばあなたが庭に植えるひまわりの種を買いたい時は、(ネットでポチるという選択肢を除けば)近所の園芸店に行くだろう。それは、園芸店が「園芸を手伝う」と宣言している店だと、あなたが知っているからだ。間違ってもトヨタレンタカーに行って「ひまわりの種をくださいな」とは言わないだろう。

そういう視点で僕が作ろうとしている仕事を語るなら、それは「やりたいことをやる、を手伝う」になる。うん、意味がわからない。どうしよう。

やりたいことを手伝う、では、できないことがある

やりたいことをやるを手伝う、というのはどういうことか。やりたいことを手伝う、の方がまだ意味が分かる気がするが、それではダメなのか。ダメなのだ。

やりたいことを手伝うでは、仮に「一度でいいから風俗店に行ってみたい」というクライアントがいた場合、彼に提供するサービスは、親類や友人と遭遇しなさそうな地域をしぼり、口コミの掲示板などに目配せし、好みの嬢の当たりをつけ、当日最寄駅に集合し、店までの道中

「いけますよ!今日男になるんすよ!いいなぁ!うらやましいなぁ!僕も独身だったらなぁ!」

などと声をかけ続ける、といったものになるだろう。なんか思っていたより需要がありそうな気がするし、それはそれで面白そうな気がするが、僕がやりたいのはそういうことではない。

僕がやりたいのは、クライアントがやりたいことに取り組み続けてられる人であり続けることをサポートすることだ。「俺は/私は、自分のやりたいことを必ず叶えられる人!」という心地良い自信を持って生き続ける、生きるスタンスと言いますか、それをコーディネートするということなのだ。

だから例えば先ほど風俗店に行きたいと言っていた彼に、僕はこう聞くのだ。「風俗店に行って、何を満たしたいの?」と。

両手が自由に動けば、ただ性欲を満たすために他者の力を借りる必要はない。それ以外に何か満たしたいニーズがクライアントの中にあるから、わざわざ人がいるお店に行きたいと言っているのである。

どうして風俗店に行きたいのかを聞き、「寂しいのだ」という言葉が返ってきたとする。そこから、どんなニーズが満たされていないから寂しいのかを掘り下げる。

仮に彼が満たしたかったニーズが、「他者と深いコミュニケーションを取ること」だったとしよう。その場合、彼が望む深いコミュニケーションがどんなものなのかを聞かせてもらいながら、うまく言葉にできない時は言語化を試みる。

もし言語化された彼の求める「深いコミュニケーション」が、言葉のやりとりで実践可能なものなら、試しに今その瞬間から挑戦してみるだろう。そうやってやりとりをしながら作り上げたノウハウや視点を整理して彼に渡し、次回のセッションまでに3人の友だちと深いコミュニケーションをする、という宿題を残して、セッションを終える。

「やりたいことをやる、を手伝う」とはつまり、そういうイメージなんである。おお、なんかいい感じじゃないか。全然一言にまとまってないけど。

「どうしてやりたいのか」を掴むと、意志は強く、行動は早くなる

やりたいことをやるのは、今までやりたいことを我慢し続けてきた人にとっては、とても難しい。まず、自分のやりたいことが分からない。「これをやりたい」と無理やり何かを用意してみても、微妙〜〜〜な違和感につきまとわれることも少なくない。

分からないなりにやってみて、違った。うまくいかなかった。一人でそんなことを繰り返していると、自分がとても無能で、からっぽで、意味のない人間のような気になってくる。孤独に孤立してしまったような感覚になってしまう。

取り組んだモノゴトが問題なのではない。あなたが自分自身のニーズに気付いていないことや、そのニーズを満たすために必要な刺激、その刺激を得続けるための具体的な行動や、その行動を継続的に取り続けるためのプランが決まっていないからだ。

そして大元になるのが、ニーズである。自分が「何かやりたいことを見つけないとな〜」とぼんやり考えている時、どんな気分になりたいと思っているのか。あなたはあなたの何を満たしたいのか。このニーズを明確にすることが、すべての始まりである。

自分の中にあった深いニーズに気付くことで、具体的なやりたいことが見つかるかもしれない。今取り組んでいることが加速するかもしれない。逆に、今取り組んでいることを止めるかもしれない。

どれになったとしても問題ない。

だってニーズに気付くというのは、あなたが本当に欲しかったものに気付くということなのだから。ニーズを満たすことを目的に据えた瞬間に、選択の基準がガラッと変わる。

今大勢の方に個人セッションを受けてもらっている。わざわざセッションを受けようと手を上げてくれた方ばかりなので、ほとんどの方が既に自分のやりたいことを見つけている。

一方で、「どうしてやりたいのか」は曖昧なままである。ええねん、曖昧でも。だけれど、「どうしてやりたいのか」をしっかり握っている人は、強くて早い。何が?意志と行動が、である。

冒頭で登場した加湿器男こともっさんは、小学校時代に周りから「障害があって足が不自由なのに頑張っているいい子」というフィルター越しにした見てもらえなかったから、「いい子でいなければならない」というブロックを抱えた。今彼はそのブロックを解放し、自由のニーズを満たすために、人と深いコミュニケーションを重ねるという自分解放プロジェクトを走らせている。

保育士のおききちゃんは大学時代、自分は音楽で人を癒す仕事をしたいのだと気付き、音楽療法士になるべく、長いスパンのプランを走らせている。さらに平行して障害のある子どもを持つお母さん達が孤立しない場づくりを目指し、YouTubeチャンネルのコミュニティ化を進めている。彼女は今20代半ばだが、ライフプランは40代までビッシリ埋まっている。

ミュージシャンでプロの掃除屋という二つの顔を持ついしはらさんは、掃除をただホコリを落とす作業ではなく、お客さまの家におられる神様をよろこばせるための神事として昇華させ、新しい仕事のやり方を作り上げようとしている。佳い気分で生きる、という自分のニーズを仕事で表現するのだ。既に骨子は固まっており、間もなく動き出す。

個人で犬のしつけ教室をしているかずみさんは、子どもの頃から大好きだった犬と関わる仕事を生み出したが、文章を書くのが苦手で、自分の仕事をどうすればまだ会っていないお客様に届けられるかで悩んでいた。今は僕と2人でYouTubeを使い、かずみさんの得意なお喋りを活用したストックビジネスの構築に挑戦している。そこまで頑張れるのは、自分と、飼い主さんと、そのお宅のワンちゃんの三人で、彼らがより心地いい生活を作っていくということに喜びを感じるからだ。

「どうしてやりたいのか」に一人で気付くのは、ちょっと難しい。それらしいものを作ることはできる。できるけど、作られた理由は、なんだかちょっと足元がおぼつかない。本当の「どうしてやりたいのか」は納得感が半端ではないから、見つかるとすぐに分かる。

「どうしてやりたいのか」に気付けている人は、意志が強くて行動が早いだけでなく、考え方はしなやかだ。大切なニーズを満たす、という芯が通っていながら、そのための手段は選択できるという発想が生まれるからだ。

「どうしてやりたいのか」が明確になっている人はだから、最高に魅力的である。僕の仕事は、魅力的な人がやりたいことに取り組むという行為を、一歩引いたところからサポートし、支えるということである。

うん、僕的にはとってもスッキリしました。4000字も書いたけど、後悔はしていない。自分のやりたいことを見失ったら、この記事に戻ってこよう。最後までお付き合いいただいた方、ありがとうございました。