人と人とは縁で繋がっている。それがじっくりと育む縁の人もいれば、人間的な成長を遂げてゆく過程でふと出会う人もいる。そして、初めからある程度、あるいは大変に太い縁で繋がっている人も居るものだ。
僕は和歌山県市内にあるアビーロードというライブバーでハウスミュージシャンを始めたのだが、先日、まさにそのような太い縁で繋がっているとしか考えられない方と出会った。
1回目のステージが終わってすぐにお店のドアが開いて、女性のお客様がひとり入ってこられたんである。その方にマスターが
「今日は○○は出ませんけど大丈夫ですか?」
と声を掛けているのが聞こえた。どうやら、日ごろ追い掛けているミュージシャンがいる方らしい。今日はフラッと飲みにきたんです、というその方をスタッフがソファ席にお招きしているのを横目に、僕は2回目のステージに上がった。
その方が来た次のステージの演目は、カヴァー2曲の後に「弱者の歌」というオリジナル曲であった。(このバーのハウスルールでは、15~20分のステージを3~4回回すのだ。)
ここで余談であるのだが、応援しているミュージシャンの居る方というのは、その他の音楽に対しても懐が深いことが多い。好きなものに対して行動を起こせる方は、自分の直感的な好意に従うことの気持ち良さを知っている。
だから、ここはちょっと営業戦略的な発想であるのだけど、そういった方に気に入って頂けるというのは、演奏者としては大変に心強いことなんである。そしてもちろん、(そうでなくてもそうするのだけど、そうであったから尚更に)僕は一生懸命に演奏をしたのである。
その後、ふとそのお客様と僕が言葉を交わすタイミングがあって、お互いに距離感を取りながらアレコレと語り合っていたのだけど。なんとなく僕が昔大きな会社で営業マンをしていたことを話していて、その会社で働くことが辛かったことを「僕がとても未熟だったからですよねぇ」と話した時に
「そもそも未熟じゃなきゃ人間生まれてこないですからね」
と。これが僕の普段から思っていることと完全にフィットして、後は凄まじい勢いで打ち解けていったんである。
愛や魂、人生や命という言葉を使った考え方や話は、時折強く嫌悪されることがある。同じことを言っていても、別の言葉を使った方が無難である場合も多くある。であるから、そういった話は普段あまり前面には出さないようにしているのだ。
その方もそうであったそうだ。しかし、僕の「弱者の歌」という曲を聴いて、この人は大丈夫な人だ、と判断してくださったらしい。あの曲や演奏にきちんと心根が現れていたことも、その方が勇気を持ってその話題を切り出してくれたことも、奥歯をグッと噛み締めるほどに、じんわりと嬉しかった。
僕がその日ハウスミュージシャンの初日で
その方が初めて目当てのミュージシャンんが居ない日に気まぐれに現れた日で
僕が大事な曲を一生懸命に演奏して
そこにその方が気付くものがあって
僕が話し掛けて
その方が勇気を出してくれて
後はお互い普段から思っていたことを混ぜ合う、とても幸せな時間であった。
ところで、僕にとってはお客様は誰しも平等に愛すべき存在である。ファンの方は特別大切にするし、初めましての方も特別大切にする。そこに優劣はなく、むしろそうであるように見えたなら、それこそ僕の未熟である。
愛や魂、といった話題を正面切って出来る方と偶然に出会えたことがあんまりに嬉しくてこういった記事になってしまったが、だからと言って普段から付き合いのある方よりもその方の方が大切かというと、そういうものでもない。
言い訳がましい終わり方であるが、僕自身が人と人の縁に嫉妬することがあったから、念のためにと注釈であった。全ての方との出会いと、全ての方との再会を、僕はいつも心から大切に思っている。疑ってくれても構わないが、できたら、信じてほしい。
それでは、今回はこの辺で。
アビーロードにて。